都文化とともに妙なる金の島に渡った茶粥@佐渡

茶粥のある食卓

神棚

茶粥

番茶

国生神話によると日本国を造った神イザナギとイザナミが七番目に生み、『古事記』の頃から佐渡と呼ばれた島は、島という性質上古の伝統文化が守られ存在しているのでしょうか?それは、承久の乱に敗れ21年間を島で過ごし生涯を終えた順徳上皇なのか、幕府や諸宗を批判したとして佐渡流罪になり島での三年間でさまざまな伝説を残した日蓮聖人なのか、「鳴けば聞く聞けば都の恋しきに、この里過ぎよ山ほととぎす」と詠んだ藤原定家の曽孫京極為兼なのか、室町幕府三代将軍足利義満に寵愛され一世風靡するも将軍の代が変わると共に凋落した失意の世阿弥なのか、告げ人知らずの茶で米を煮て作る茶粥習慣が残っています。
遠く海の見える茶畑を見学させていただいた神蔵家の茶粥は、鍋一杯茶粥を炊いて、朝から茶粥を食べます。神蔵さんが子供の頃、学校からお腹をすかせて帰ると、朝食べ茶粥がモチモチした状態になっていて、またオヤツとして美味しく食べたそうです。
玄関を入って頭を上げると、太陽神天照大神をはじめとする神々を祭る神棚と薬箪笥を中心に広がるかつて日本屋敷とはこのようなたたずまいであったであろうと想像する理想の空間に置かれた卓袱台でご馳走になった茶粥。
島でも知る人ぞ知るのみの雅な歴史浪漫が感じられる茶粥の作り方をご紹介いただきました^_^

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