<上海建築2004&2014>海関大楼

海関大楼2007

海関大楼2014

中山東一路13号
南宋時代、上海鎮は通商港ですでに外国貿易を管理する市舶司がおかれていました。明末から清朝初期に鎖国されていましたが、清朝康熙年間二十四年(1686年)に解禁されたことにより再び徴税機関が設けられました。
1853年、小刀会が蜂起したことで上海の税関は空になり、そこから武器が奪われて小刀会などに売り払われていたことを口実に、イギリスは税関を占拠、黄浦に入る外国船は中国に税を払わなくなりました。交渉の末、1854年イギリスの清朝政府に対するさらなる租界特権拡大と関税の主権要求が通り、イギリス、フランス、アメリカ等の外国籍人員による委員会が税関に駐留することになりました。こうして、再開された税関は初代総税務司こそ中国人が務めましたが、あとはイギリス人がその任に就き、一人のイギリス人が四十年もの長きにわたって上海税関を支配することになります。上海の税関は外国人に一世紀近くコントロールされ、抗日戦争勝利後やっと中国人が総税務司の任に返り咲きましたが、真に外国人勢力の影響がなくなったのは上海解放後のことです。
現在の建物は1927年12月19日に予算の二倍をかけて落成しました。ギリシア新古典主義的スタイル、鐘楼が印象的な外観を呈しています。15分ごとに鳴る時計音は数㎞圏内すべてで聞かれました。ロンドンのビックベンにならいイギリスで造られた後、上海で組み立てられたものです。

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