<上海建築2004&2014>大光明大戯院(グランド)東方紅電影院

大光明大戯院2006

大光明大戯院2014

南京西路216号
大光明大戯院(グランド)は最初は1928年に建てられました。元はカールトンダンスホール、靴屋、薬局と六棟の民家があった場所です。 当時、潮州商人高勇醒は毎月銀6000両でその土地を借りて、アメリカビジネスマンの名義で大光明大戯院を建造しました。 高勇醒はイギリス人をマネージャーにおき、作家の周痩鵑に広告部主任を任せます。 1928年12月23日にアメリカのサイレント映画《笑声鴛影》の上映で始まりました。オープニングセレモニーには梅蘭芳、包天笑、厳独鶴が招かれ、上映前にファッションショーが行なわれ、一大センセーションを巻き起こしました。 大光明(グランド)は開業後も常にアメリカ映画で多くの観衆を引きつけましたが、その繁栄は短いものでした。一本の映画が破滅を招いたのです。
1930年2月22日から、映画館は米国の喜劇スターが主演《不怕死》の上映を開始しました。その内容はチャイナタウンの華僑を盗賊、麻薬業者として描写し、中国人はみな金儲けのためならば死も恐れないというもので、それは多くの中国人観客の怒りをかいました。政府も世界に働きかけ、この映画は世界で上映禁止になります。
これをきっかけに映画館の人気も急激に低落し、ついに1931年11月休業に追い込まれました。
1932年、大光明戯院は英国籍の広東人盧根と米国系によって、銀100万両で買収されます。大光明は取り壊され、新たに建てかえられました。彼らは一度取り壊し建てかえることによって観衆の大光明に対する悪い印象を消そうと考えたのです。大光明は命運をつなぎました。
1989年上海市人民政府は大光明戯院を市級保護文化財に指定、1992年の改修の際には、文化財保護法にのっとって座席をとりかえた以外は基本的にそのままの状態に維持されています。
現在も映画祭や試写会に大光明はしばしば使われています。依然として国際的な映画芸術を展開する拠点です。

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