<上海建築2004&2014>尚賢坊

尚賢坊2004

尚賢坊2014

淮海中路358弄
尚賢坊はもとはキリスト教の教会でしたが、純粋な教会とはちょっと意味合いが異なった教会と言えるかもしれません。中国国際学会という意味をもつ英名のこの学会はイエスキリストを信仰するとともに孔子のことも崇拝しているということから中国語で尚賢という名称がつけられました。1897年イギリス長老会の宣教師が李鴻章、イギリスやアメリカの公使の支持をとりつけて北京に教会を建てましたが、義和団事件のおりに破壊されてしまいました。1903年に上海に移って建てたのが尚賢坊です。学会は西洋文化と封建文化の融合をめざし、中国民主革命に反対しました。1917年第一次世界大戦では、中国の参戦に反対して中国政府から国外退去させられました。1921年宣教師は再度上海にもどり、再建増築したのが現在残る尚賢坊です。近年、上海は高層ビルが次々と建てられ、経済性の悪さから多くの石蔵型住居が取り壊されてしまいました。尚賢坊は代表的な建物であったため、市の保存文物としてその時代の潮流をまぬがれました。

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