<上海建築2004&2014>華懋公寓(キャセイマンション)錦江飯店北楼

華懋公寓2004

華懋公寓2014

茂名南路59号
キャセイマンションは1929年、サッスーン財閥によって建てられた高級アパートメントで上海西区最高の建築物といえます。設計は外灘(バンド)に並ぶ建物そしてサッスーン財閥の建物を数多く手がけたパーマー&ターナー事務所です。キャセイマンションが錦江飯店となったいきさつを語るならば、創業者である女性実業家董竹君にふれないわけにはゆきません。董竹君は1900年上海の極貧家庭に生まれ、ものごころつくころにはすでに生活のために働いていました。結婚を機に上海を離れましたが、その後上海にもどり1935年寧海西路に四川料理の錦江川菜館を開店させました。その味とサービスによって店は繁盛し、客は国民党政府要人や共産党地下組織のリーダーたち、映画界、文芸界、されには裏社会の三大ボスとよばれた杜月笙、黄金栄、張嘯林など多岐にわたりその人脈を広げました。上海解放後、上海副市長潘漢年と市公安局長楊帆から推挙され、董竹君は錦江川菜館と錦江茶室をキャセイマンションに移し、この建物を改名して錦江飯店としました。董竹君がいなくてもキャセイマンションとグローヴナーハウスはホテルになっていたかもしれませんが、現在の錦江飯店はありませんでした。錦江飯店はその後、上海を代表する最高級ホテルとしてアメリカ歴代大統領ニクソン、レーガン、イギリス首相サッチャー夫人、日中国交回復のために訪中した田中首相など各国元首や、毛沢東、周恩来、劉少奇、鄧小平など国家指導者を接待しました。晩年の董竹君は不幸でした。潘漢年と楊帆が逮捕されたことによって、錦江飯店から排斥され、さらに文化大革命中には迫害を受けました。1990年、錦江飯店は彼女を高級顧問にむかえることによって名誉の回復をはかりました。董竹君は1998年北京で亡くなっています。

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