<上海建築2004&2014>華業公寓

華業公寓2005

華業公寓2014

陝西北路173号
上海にはたくさんの高層のマンションがあります。例えばブロードウェイマンション(上海大厦)、グローヴナーハウス(錦江飯店中楼)、ピカデリーマンション(衡山賓館)、ハミルトンマンション(福州大楼)などはすべて1930年代に建てられました。
1934年に完成した華業公寓もその分類に入りますが、当時のマンションビルの中で、その建物は独特な風格を持っています。 なぜなら、当時高層マンションの設計はほとんど外国人設計者によるものだったのですが、華業公寓は中国人建築士李錦沛の手によるものだからです。
李錦沛はアメリカニューヨークの華人家庭で1900年に生まれ、ニューヨーク州立大学で建築士の資格を得ました。 1923年上海に来て、いくつかキリスト教系建築物の設計に参与し、1929年南京中山陵の設計士呂彦直が亡くなったため、李錦沛は中山陵の未完成部分の設計に携わりました。1932年上海に帰って、李錦沛の建物事務所を開きます。
李錦沛の設計は現代建築の影響を受け、簡潔を主とするもので同時にいくらかの中国民族的部分が含まれていました。例えば模範文と共同で作った八仙橋青年会、YWCA、寧波路の広東銀行などです。スペイン風の特徴が顕著な華業公寓も屋根部分は錐体形で中国の東屋風となっており、外壁に埋め込まれたガラスタイルによって自然光を得る工夫がとられています。
華業のような高級マンションは旧上海では高官や豪商または外国人の居住するところでしたが、抗日戦争勝利後文化芸術界の有名人に居住したことがあります。
作家であり劇作家の李健吾が住んだ部屋は、1947年に満州映画株式会社が接収されたため有名な映画新劇役者の金山、張瑞芳の夫妻が上海に移ってきた際に李健吾から購入しました。
張瑞芳が肺病を患って静かな場所を必要としていたからです。
華業公寓の独特建築スタイルは中国人建築士の代表的作品であったので、専門家の鑑定を経って、1989年上海市の保護文化財とされました。

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