<上海建築2004&2014>拉摩斯公寓(ラモスアパート)白川公寓、北川公寓

拉摩斯公寓2004

拉摩斯公寓2014

四川北路2018号
四川北路と多倫路の角に建つ北川公寓は1920年代中期に建設された鉄筋コンクリート四階建ての建物です。建築規模から見ても1930年代に建てられた何十階建ての高層マンションとは比べものになりませんが、質的には大変すぐれており、さらに文学者で思想家である魯迅が3年余り暮らしたということから上海の名楼のひとつに数えられています。北川公寓はもとは初期の映画館経営で有名なイギリス人ラモスの建てたアパートで拉摩斯公寓(ラモスアパート)と言いました。1927年秋に広州から上海にやってきた魯迅にとっては2番目の住居です。最初の住居は横浜路にありました。当時その通りには茅盾、叶聖陶が、後に柔石、馮雪峰も住みました。もともとそこは商務印書館の職員が多く住む、文学に縁の深い場所でした。1930年切迫した社会情勢からそこに住みつづけることができなくなった魯迅のために日本の友人である内山完造が都合をつけたのがこのアパートメントです。拉摩斯公寓3階の4号室は内山完造の名義で借りられ、表札も内山完造の名前が掲げられました。この部屋には瞿秋白も一時身を寄せたこともあり、アパートの地下室には2年余り馮雪峰が身をひそめていました。戦時中、公寓は虹口公園で爆死した白川大将の名にちなんで白川公寓と改名したこともありましたが、その後現在の北川公寓とされました。1996年、虹口区政府は地区内10ヶ所に文化名人故居の碑をたてましたが、ここもその中のひとつです。

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