<上海建築2004&2014>亜洲文会大楼

亜洲文会大楼2007

亜洲文会大楼2014

虎丘路20号
皇家亜洲文会は1823年ロンドンで成立し、1847年にアヘン戦争によって割譲された香港に中国の芸術や自然科学を研究する亜洲文会中国支会がおかれました。上海の英国人人口の増加にともない上海にも文理学会が組織されるようになります。1858年、学会は皇家亜洲文会と提携し、名を香港よりも北にあるからというシンプルな理由から亜洲文会北中国支会と改めました。
1871年、手狭になった亜洲文会は英国政府と工部局の力によって圓明路に亜洲文会博物院が建設します。亜洲文会博物院の名声は上海の白人社会に浸透し、公共租界工部局が建物がたつ圓明路を博物院路(現在は虎丘路)と改名するまでになりました。1929年にはシロアリによる被害で銀16両で新しい楼への建てかえが始まり、1933年11月15日に新博物院が正式にオープンします。二階が図書館、三階と四階が博物院、五階は中国科学美術雑誌社に貸し与えられました。
設計にあたった公和洋行がヨーロッパ式装飾に一部中国伝統的デザインも採り入れ好評を得たことは、1934年に公和洋行と中国人建築士陸謙受によって外灘に建てられた中国銀行にも影響をあたえています。
1952年亜洲文会大楼は政府に接収され、上海図書館の書庫になりました。

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