普度を偲んで萬福寺に普茶料理

1654年、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川4代将軍家綱の尊崇を得て、1661年に開創された寺院であり、日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つ、黄檗宗の総本山です。黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、毎日唱えられる経は黄檗唐韻で発音、明代そのままの法式梵唄を継承しています。
鬼月、今年は新暦8月19日が旧暦の7月1日、「鬼門」が開き、月末に「鬼門」が閉じるまでの1か月間、先祖や「好兄弟」と呼ばれる無縁仏などの霊がこの世に戻って来ます。
この普度という風習は、道教の「三元節(旧暦7月15日)」と仏教の「盂蘭盆会」が融合したもの。台湾では、新天地を求めて中国大陸から渡ってきた先人たちによって台湾特有の「普度」の風習と文化が生まれました。
旧暦7月に行う中元普度は、1日の「鬼門開(=鬼門が開く)」、旧暦7月15日の「十五中元」、そして月末の「鬼門関(=鬼門が閉じる)」の一ヶ月を指します。各家庭の入口にお供え物を並べ、「好兄弟」に供える。集団住宅、商業ビル、会社などで行うものも含め、これらを「私普」と呼ぶ。これに対して大きな廟宇、市場、同業者組合、「宗親会(=同姓組織)」などが行う大型の「普度」は「公普」と呼ぶ。いずれも「好兄弟」たちをもてなすための儀式であり、それぞれの家庭の祭祀の習慣や、現代生活の利便性などを考慮し、どちらに参加するか選ぶことができるのです。
福建から台湾に渡った人々のように、隠元禅師を筆頭に萬福寺を創建した人々も福建から日本に渡った人々。だから萬福寺では中華風を感じることができます。
その中の一つ普茶料理は、隠元禅師が中国から伝えた精進料理で、普く大勢の人にお茶を差し上げると言う意味で、お寺での行事について協議や打ち合わせの時に、茶礼という儀式を行い、その後の謝茶(慰労会)で出される中国風精進料理です。日本の山野に生まれた産物を捨てるところなく佛恩に感謝しながら余すところなくすべて調理したもの。席に上下の隔たりなく一卓に4人が座って食するのが作法とされます。このような和気藹々と食するという作法がある料理は一人ふらっとありつくことが難しい。
ところが、このご時世だからこその普茶特別プランが生まれていました。鰻の蒲焼もどきや多彩な料理を詰めた期間限定・数量限定の普茶弁当。金平糖のお土産や、拝観セット(写経用紙・マスク・御朱印・御線香)も付いてました。
料金は5670円、コロナゼロです。
普茶料理について
禅宗では「五観の偈」という食事の前に唱えられる偈文があり、食事をいただく事も修行のうちの一つ。
一.功の多少を計り彼の来処を図る
(多くの人々や生命に支えられていることに感謝する)
二.己が徳行の全闕と忖って共に応ず
(自らの行いがきちんとしているかを反省して、食事する)
三.心を防ぎ過食等を離るるを宗とす
(食事の量や内容にかかわらず正しい心で残さず食する)
四.正に良薬を事とするには形枯を療ぜんが為なり
(食事は心身の健康を保つための良薬です)
五.道業を成ぜんが為に應にこの食を受くべし
(自分の仏道修行、目標、責務を成し遂げるための食事とする)
代表的な普茶料理
筝羹(しゅんかん)
旬の野菜や乾物の煮物などを大皿に盛り合わせた一皿で、普茶料理の華といえるもの。
もどき
精進の材料を使って鰻の蒲焼やカマボコに見立てた料理。
麻腐(まふ)
胡麻豆腐の元祖ともいうべき料理。
寿免(すめ)
清湯(ちんたん)ともいわれる澄まし汁。具に唐揚げが入っていてなんとも珍しいもの、淡味であっさりしています。
浸菜(しんつぁい)
季節感のある食材を用いて他の料理を引き立てる料理。
雲片(うんぺん)
調理の際に残った野菜のへたなども余すことなく、細かく刻んで葛でとじ、雲に見立てた料理です。
油茲(ゆじ)
天ぷらのようでいて、素材や衣自体に味がついており、油揚げに近い料理。梅干しや饅頭などの変わり食材もあります。
水果(すいご)
食事最後をしめくくるデザートです。

2020年8月22日facebook記事より

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次