中国上海– category –
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<上海建築2004&2014>交通銀行大楼
中山東一路14号 中山東一路14号はたびたび持ち主がかわりました。上海開港当時、イギリスのアヘン商人が買いあさった土地の中に中山東一路14号はありました。アヘン貿易が多くの国で禁止されるようになると持ち主の事業の失敗も手伝って、土地は売りに出さ... -
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<上海建築2004&2014>海関大楼
中山東一路13号 南宋時代、上海鎮は通商港ですでに外国貿易を管理する市舶司がおかれていました。明末から清朝初期に鎖国されていましたが、清朝康熙年間二十四年(1686年)に解禁されたことにより再び徴税機関が設けられました。 1853年、小刀会が蜂起し... -
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<上海建築2004&2014>匯豊銀行大楼 香港上海銀行上海支店
中山東一路12号 匯豊銀行大楼の建設に費やされた1000万元は、当時外灘(バンド)に建っていた全建築物の建築費半分以上にあたります(上海海関新楼、サッスーンハウス、中国銀行はまだ建設されていませんでした)。唯一無二、“スエズ運河‐ベーリング海間最... -
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<上海建築2004&2014>旗昌洋行
中山東一路9号 当時、大清帝国が外国との交易の為に開放していた唯一の港広州において1818年、アメリカ旗昌洋行は誕生しました。その後上海が開港すると、アヘンのさらなる市場を求め洋行は広州から広東人の職員たちをそのままつれて外灘9号に引っ越しま... -
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<上海建築>中国通商銀行(元芳大楼)
中山東一路6号 アヘン戦争(1840~42)以前、中国の金融機関といえば、両替を本業として銀行業を兼ねた銭荘のようなものしかありませんでした。上海が開港すると、外灘やその周辺の通りにはたくさんの外国銀行が進出しました。1897年に初めてイギリスの銀... -
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<上海建築>日清大楼
中山東一路5号 1970年代、日本郵船株式会社は日本-上海間航路といくつかの上海と近郊都市をむすぶ航路しか持たない小規模な会社でした。当時、長江の航行は先進していた欧米が握っており、日本はさらなる中国内部進出のために長江航路を奪取すべく、1907... -
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<上海建築>有利大楼 ユニオン・アシュランス・カンパニーズ・ビル
中山東一路4号 上海の主要建築物を数々手がけたパーマー&ターナー事務所上海最初の仕事がユニオン・アシュランス・カンパニーズ・ビルです。ロンドンに本拠地を置いていたユニオン銀行は1854年に上海に分行を開きました。チャータード銀行や匯豊銀行(香... -
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<上海建築>上海総会
中山東一路3号 上海総会(上海倶楽部)というのは1861年に創設された在上海イギリス人クラブの名前です。 1909年改築された建物の外観は典型的なイギリス古典主義建築様式ですが、内装は日本の帝国ホテルのスタイルも参考にされているため“東洋のロンドン... -
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<上海建築>亜細亜大楼
中山東一路1号 亜細亜(アジア)大楼はどうして“外灘第一楼”と言われるのでしょうか。1916年に建設された当時外灘(バンド)で一番大きな建物だったこともそのひとつでしょうが中山東一路の1号であるということが大きな理由かもしれません。 1916年にマ... -
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金奨恵明茶
上海閘北区普善路の満堂春茶葉市場は上海主要7茶葉市場のうちの一つ。他の茶葉市場と比べると規模が小さいのですが、最近3年間は毎年キーモン紅茶を買いに行っています。 3年も通っていてついこの間金奨恵明茶専門店があることに気がつきました。 金奨...