正宗港口茶@台三線お茶のある風景⑳

台湾最南端の茶区に産する港口茶には4つの特色があります。海抜が低い、緯度が低い、日照時間が長い、海風が強い、どれにも茶栽培に向いているとは言えません。そのような地になぜ茶が導入されたのでしょうか?
それは、一つの歴史事件がキッカケになったと言います。
1874年、台湾の南部海域で漂流していた琉球船の乗組員が原住民に虐殺されたことを理由に日本が台湾に出兵した牡丹社事件です。
清朝政府が被害者に撫恤金を支払う、日本政府は撤兵に同意するということで事件は治まりました。
この時台湾に赴任し軍務を監督した沈葆楨(1820〜1879年、欽差大臣、林則徐の娘婿)がここに城壁を築くよう朝廷に奏請し、結果屏東最初の縣、恆春が設けられました。その恆春縣(台湾清治時代の県名)に清朝光緒元年1875年最初の知縣として赴任してきたのが、周有基です。周有基は愛茶人で、住民たちに茶栽培を奨励しました。
屏東縣滿州鄉港口村茶山路の坂を上って行くと、土地公を祀った茶山福徳宮があります。その対面に建つ石積みの家屋が朱家の200年の歴史を物語っています。家の歴史は即ちお茶の歴史なのです。
初代茶師朱振淮は、自身の故郷福建安渓から茶を持ち帰って港口で最も早くから茶園を拓いた人物です。現在、五代目と六代目が初代が残した当時のままの雪犁種で茶作りをしています。
朱家茶園は海拔60m、200m先は太平洋、日当たりの良さが植物の成長を促すので年間10回(1月〜2月冬茶、3〜5月春茶、6〜10月夏茶)も収穫ができます。茶畑は落葉や腐木など天然有機で施肥、どんな農薬も化学肥料も使いません。木が求めるならば山の泉水で灌漑をする。山の五代目朱金成茶師77歳、親の手伝いを始めた6歳の頃から茶畑のことが気にならなかった日は一日もありません。今日も、茶畑見学から帰って来たタイミングでひょいと現れた茶師、バイクで茶樹たちの声を聞きに畑に行くところでした^_^

~2024年6月5日facebook記事より

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