北蘇州路20号
ブロードウェイマンション(百老匯大厦)は虹口百老匯路口にあったことにちなんでその名前がつけられました。現在の名前上海大厦は1951年に改名されたものです。かつて18階のベランダから臨む外灘のすばらしさは有名で、多くの国家元首や賓客が招かれてそこからの風景を楽しみました。1956年、10月の魯迅改葬式と、盆栽を携えて参加した11月の中山公園菊花展、この年二度作家周痩鵑は招かれて上海大厦に泊まっています。彼はその時の喜びを≪上海大厦剪影≫にこうしるしました。
「私は上海大厦に12日間滞在した。1956年の日記の中で良い思い出の一頁だ。蘇州河畔にそびえる上海大厦は私にとって幸福の天堂だ。じつをいえばあんなに高い所に泊まったのは生まれて初めてである。『一跌在青雲里』ということわざがあるが、私の場合まさに『一睡在青雲里』であった。」
当時周痩鵑の生活水準はけっして低いものではなく、それどころか全国政協委員でありました。お金があっても泊まれるというわけでなかったのが上海大厦であり、だからこそ彼は上海大厦を幸福なイメージとして心に留めているのです。日本史をひもとけば、この大厦は戦時中海軍物資調達機関の児玉機関がフロアを占め、川島芳子も出入りしたことがある建物として知られています。
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