華山路699号
華山路849の丁香花園(ライラックガーデン)は、清代北洋大臣李鴻章と丁香の住まいであり蔵書をおさめた望雲草堂でありましたが、そこからほど遠くない場所(華山路699、731路)も李鴻章縁の地と言えます。1900年にそこに貿易会社の経営者が建てた英国式ガーデンハウスが李鴻章に売却されたからです。李鴻章は1901年に亡くなっているので亡くなる間際のことです。1901年夏、余命いくばくもないことを自覚していた李鴻章は丁香のために、彼女が生きている間または再婚するまで、上海の不動産の権利は彼女に帰するとの遺言を書きました。しかし丁香が出家したため、その財産は李家にもどされ、この華山路699、731路は三男李経邁のものとなり、1930年に枕流公寓が建設されました。当時は有名人が住む最高級マンションとして知られ、30、40年代「黄金の咽喉」と称され一世を風靡した銀幕のスター周旋も1932年から1957年に悲劇的に人生の幕をひくまでこのマンションに住んでいました。かつて文匯報総編集長の徐鋳成、名監督朱端鈞、越劇の名優傳全香、範瑞娟など60年代に高級知識分子が住んだ華やかなマンションも文化大革命の時代には迫害の対象となり、著名な文芸理論家であった叶以群が投身自殺をはかるなど悲しみの舞台になりました。
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