華山路849号
1860年代後半、西太后の信頼厚い北洋軍閥の領袖であった李鴻章は上海で軍事工業(江南製造局)、紡績工業(机器織布局)、海運業(輪船招商局)の近代化をはかりました。たびたび上海に滞在していた李鴻章は、晩年に見初めた若い愛妾丁香のために一族が多く住む天津、合肥を避けて上海の地に彼女が住まう邸宅探しを、上海を活動の中心としていた洋務派官僚の盛宣懐にたくしました。盛宣懐は現在の華山路に土地を求め、アメリカンスタイルの邸宅と庭園を建築させました。蔵書家としても知られた李鴻章はこの丁香花園に丁香を住まわせる一方、もう一棟に望雲草堂コレクションを置きました。李鴻章の死後30余年、戦争のどさくさにまぎれ稀少本は古本屋の手に渡りちりぢりになってしまいました。残った蔵書は孫の李国超によって震旦大学の図書館に寄贈されました。震旦大学はフランスのキリスト教会が設立したフランス租界地内にある大学だったので比較的安全だったからです。合肥李氏望雲草堂蔵書として大学で大切に扱われたコレクションは解放後、カトリック系震旦大学から辞職退学した教師や学生が1905年に創設した復旦大学に繰り入れられました。丁香にちなんで植えられたライラックは今でも丁香花園に植えられています。
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