福州路209号
上海にかつてあったある種のクラブを俗にの総会と言いました。まず1861年に建てられた英国クラブは上海総会と言いました。ただこのクラブに入会できる中国人は大変稀で限られていました。 清朝末期、租界地の風物を熟知していた申報の黄編集員は、1883年の《淞南夢影録》の中で彼は総会をこのように描写しています。「西洋人が友人同士で集う場所を総会という」
上海のフランス総会は金陵東路に、英国総会は四馬路にありました。 現代クラブ(総会)、ナイトクラブ(夜総会)と言えば多くは娯楽場所ですが、 正規のクラブの総会とは有力な外国人が設立し、娯楽施設以外に室内球戯場やプールなどの体育施設を有する専門の建物を持っていることが一般でした。
1911年、イギリス人による上海総会(シャンハイクラブ)が外灘にビルを造りました。1924年、フランス総会の豪華な建築物が茂名南路に完成しました。 花旗総会(アメリカンクラブ)は1917年、最初は南京路33号にクラブを設立しました。 花旗総会大楼は1925年8月、福州路209号に完成します。 当時設計士として有名なヒューデックによる設計で、こげ茶色の煉瓦が美しい外観を持つ建物となりました。 アメリカの植民地時代のスタイルとヨーロッパの新古典主義が融合されています。 花旗総会(アメリカンクラブ)は会員制で、会員の大部分は洋行のビジネスマンや銀行の高級職員で、大変少ないですが中国人も参加していました。 一階の階段の後にはレストラン、東側にバー、西側はビリヤード場、二階は休憩室、トランプ室、マージャン室、閲覧室、他にダンスホールがあります。 三階以上は会員が泊まれる部屋になっていました。 戦中戦後、多くのアメリカ人が撤退したせいで総会はその活動の停止を余儀なくされます。 1953年以降、上海市高級人民法院・中級人民法院となり、建物の名も高法大楼と改名されました。
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