陝西南路39弄
かつてドイツ人のクラブがあったこの土地は、1917年第一次世界大戦後期に北洋政府がドイツとの国交を断絶すると、フランス租界公董局が突然このクラブを接収し、抗議した中国政府との交渉を経て、1918年にフランス側に買収されました。その後、この場所は第一次世界大戦中フランス軍とドイツ軍の激戦地となったベルダンにちなんで凡爾登(ベルダン)花園と名づけられ、フランス式の住居が建ち並びましたが、戦争や上海解放などの歴史をくぐりぬけ1958年には長楽村という現在の名称となりました。長楽村93号には画家であり作家であった豊子愷が1954年から亡くなる1975年まで住んでいました。豊子愷はこの終の棲家となった場所を日月楼と称していました。
目次