茂名南路87号
サッスーングループの華懋地産公司とパーマー&ターナー設計事務所という当時の上海建築界を席巻した2社はたびたび組んで素晴らしい作品を生み出しました。
1935年フランス租界蒲石路にそんな2社に建てられた18階建の外国人向けマンション、一般の中国人たちはその建物の名前さえ知るものは多くありませんでしたが、この建物の変遷は歴史とマンション住人の移り変わりとともにあったような感があります。
グローヴナーハウスは太平洋戦争が勃発すると日本司令部に占領、戦後はアメリカ軍に接収されましたが、イギリス人の持ち物だったためほどなくマンションとしての機能をとりもどすことになりました。このころになると外国人以外にも国民党の要人や兪鴻鈞、杜月笙といった有名人が多く住んでいましたが、共産党の力が強まるとサッスーンファミリーは徐々に上海から撤退を開始、それとともにマンションの住民も減ってゆき、上海解放時には77部屋中使われていたのは12部屋とマンションの人気は凋落、1956年に市の不動産部の管理下におかれ名前も茂名公寓と改められました。
茂名公寓は高級知識分子が集うマンションとして生まれかわりましたが、それも長く続かず1957年に起きた反右運動によって多くの住民たちがマンションから姿を消しました。
昔グロヴナーハウスと呼ばれたマンションは現在、ホテル錦江飯店の中楼です。
追記:
老上海時代の建築物の物語を語るうえで欠かせないのがパーマー&ターナー事務所のことです。なぜなら上海灘(バンド)に並ぶ主要建築や上海アール・デコ・スカイスクレイパーとよばれる代表的建築物の多くがこの事務所によって設計されたのです。
1916年 ユニオン・アシュランス・カンパニーズ・ビル
1916年 ヤンツ・アソシエーション・ビル
1922年 グレン・ライン・ビル
1923年 チャータード銀行
1923年 香港上海銀行上海支店
1924年 横浜正金銀行上海支店
1925年 上海海関
1929年 サッスーン・ハウス
1937年 中国銀行本店
上海の象徴である上海灘(バンド)の風景はパーマー&ターナー事務所が造ったと言っても過言ではありません。