オレンジに代わる島の農産物としてお茶に光を見た当時のサンミゲル島農業組合はマカオ、カルカッタ、ホンコン、日本に照会した結果、最も詳しく有益な情報を提供してくれたマカオ側と交渉をおこない2人の中国人技術者を、月給48レイス(半分をマカオと通してその家族に支払う)、家具付きの部屋を用意するという条件で招聘することに決めました。
茶栽培製茶技師Lau a Panと通訳兼補助者Lau a Tengは1878年3月5日、ルーゾ号で島に到着しています。2人は到着翌日から働き始め、竹で籠や篩など製茶に欠かせない道具を作り、島各所から茶葉を集め、最初の実験で8㎏の緑茶と10㎏の紅茶を作ったそうです。
(2016-10-3)
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