1941年(民国30年)
春、「省茶司」と蒙蔵委員会代表格桑仁氏が契約を締結。それぞれ15万元を出資、下関に康蔵茶廠を設立。【雲南省茶葉進出口公司誌 P16】佛海実験茶廠が始動、紅茶、緑茶、緊茶、圓茶を生産。【雲南省茶葉進出口公司誌 P33】佛海実験茶廠はインド向け緑茶78箱、ミャンマーに56箱、タイ向け七子餅茶462担、ヤンゴン経由香港向け紅茶183箱を販売した。【雲南省茶葉進出口公司誌 P16】
春,省茶司与蒙藏委员会代表格桑仁订立合约,各出资国币十五万元,在下关建立康藏茶厂。佛海实验茶厂建成投产,加工红茶、绿茶及紧茶、圆茶。佛海实验茶厂的绿茶销售印度七十八箱,销缅甸五十六箱,七子饼茶销泰国四六二担,通过仰光销香港红茶一八三箱。
1942年(民国31年)
7月、「省茶司」が佛海実験茶廠の疎開非難を指示。11月7日に范和鈞氏率いる佛海実験茶廠従業員の二十数名が昆明へ戻る。【雲南省茶葉進出口公司誌 P33】8月、康蔵茶廠工場長に祁曽培氏が就任。主に茶廠はチベット向けに緊茶餅茶を、四川省向けに沱茶を生産する。【雲南省茶葉進出口公司誌 P33】
七月省茶司通知佛海实验茶厂停业疏散。十一月七日范和钧率佛海实验茶厂职工二十余人撤回昆明。八月康藏茶厂任祁曾培为厂长。茶厂主要加工紧茶饼茶销西藏,加工沱茶销售四川。
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