1900年、道士王円籙によって敦煌の莫高窟から発見された文書を敦煌文献と言います。史料は4世紀~11世紀初頭のもの、莫高窟が位置する甘粛省はその頃は吐蕃の支配下であったため、吐蕃の歴史を解明するうえでかけがいのない資料です。
638年、ソンツェン・ガンポは息子グンソンに譲位しました。これまでソンツェン・ガンボ王が文成公主を王妃として迎えたとされていましたが、敦煌文献研究によって、その時の王であるグンソン・クンツェン王の妃となったという説が浮上しました。公主はカムに住んでマンルン・マンチェンを生みましたが、643年に夫を落馬がもとで失ってしまい、喪に服すことになりました。息子の死にともないソンツェン・ガンポは復位しました。ラサに移った彼女が服喪中に行ったことは、亡夫を供養するためのラモチェ寺(小昭寺)建設でした。
~2021年2月18日facebook記事より