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<上海建築2004&2014>上方花園
淮海中路1285号 上方花園はかつて沙法花園とうユダヤ人の個人庭園でした。1933年、浙江興行銀行がそれを買い取りましたが、世界的に不景気なおりからそのまま建物は放置されていました。1937年に日本の進軍が始まり、銀行は関係者を安全な租界地内に住まわ... -
<上海建築2004&2014>皮恩公寓(培文公寓)
淮海中路449号 皮恩公寓は1930年にフランス企業によって建てられ、1940年代後期に孔祥煕所有となりました。孔祥熙は孔子75代目の子孫で、辛亥革命に参加していらい国民党政権の要職につき、財政金融の実権を握り、中国四大家族と呼ばれました。孔祥熙所... -
<上海建築2004&2014>尚賢坊
淮海中路358弄 尚賢坊はもとはキリスト教の教会でしたが、純粋な教会とはちょっと意味合いが異なった教会と言えるかもしれません。中国国際学会という意味をもつ英名のこの学会はイエスキリストを信仰するとともに孔子のことも崇拝しているということから... -
<上海建築2004&2014>郵政総局大楼 上海市郵政局
北蘇州路276号 清朝が郵政事業を開始したのは1896年、しかし1923年までその大きな国脈は外国人に握られていました。鐘楼風の塔屋が印象的な古典主義建築の郵政総局大楼は1924年に建てられました。 かつて鐘楼部分には天使や手紙を書く女神などの像が置かれ... -
<上海建築2004&2014>百老匯大厦(ブロードウェイマンション/上海大厦)
北蘇州路20号 ブロードウェイマンション(百老匯大厦)は虹口百老匯路口にあったことにちなんでその名前がつけられました。現在の名前上海大厦は1951年に改名されたものです。かつて18階のベランダから臨む外灘のすばらしさは有名で、多くの国家元首や賓客... -
<上海建築2004&2014>ロシア領事館
黄浦路20号 1916年、ガーデンブリッジのすぐ横、蘇州河と黄浦江が合流する場所に4階建の洋館ロシア領事館は建てられました。建物はその後自国と中国の複雑で変化の激しい情勢に翻弄されつづけました。1917年ソビエト連邦共和国が十月革命に勝利すると建物... -
<上海建築2004&2014>礼査飯店アスター・ハウス・ホテル(浦江飯店)
黄浦路15号 1850年代蘇州河北岸の黄浦江は漁網を干すことくらいにしか使われない荒地でした。 そんな土地を二束三文で買ったリチャード・アスターが1860年創業したのが上海初の洋風ホテルであるアスター・ハウス・ホテルです。現在の建物は1912年竣工、当... -
<上海建築2004&2014>格林郵船大楼/広播大楼(グレンラインビル)
北京東路2号 広播大楼は外灘(バンド)建築群のひとつで、その年建築する時、中国の伝統の北側にあり南に向いている習慣に則って、正門は北京路に置かれました。 解放前、1920年代に作られたこのビルは名前をグレンラインビルと言いました。 このビルを建... -
<上海建築2004&2014>大光明大戯院(グランド)東方紅電影院
南京西路216号 大光明大戯院(グランド)は最初は1928年に建てられました。元はカールトンダンスホール、靴屋、薬局と六棟の民家があった場所です。 当時、潮州商人高勇醒は毎月銀6000両でその土地を借りて、アメリカビジネスマンの名義で大光明大戯院を建... -
<上海建築2004&2014>国際飯店(パークホテル)
南京西路170号 1930年代から80年代のまるまる半世紀もの間、南京西路人民公園の向かいにそびえたつ国際飯店ParkHotelは上海一高いビルでした。建築士L.E.Hudecは1981年に上海に来て以来さまざまな上海の有名建築物を建てた著名人です。“...