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脊振山
「茶は養生の仙薬、延命の妙術なり」 日本初の茶専門書『喫茶養生記』を書いた栄西禅師は二度(28才と47才の時)にわたり入宋して天台山や径山などで学び、長崎県平戸に上陸、その後福岡県と佐賀県の境に位置する背振山の霊仙寺石上坊に移り、茶を栽培した... -
町のキリテの作り方^^
まず茶葉をスプーン2杯茶こしに入れます。次にジョグアにスプーン6杯分の砂糖とスプーン4杯分の粉ミルクを入れ少しのお湯に混ぜておきます。別のジョグアに茶こしをセットしてお湯を注ぎます。砂糖とミルクの入ったジョグアにできたストレートティーを... -
ジェームステイラーの墓
1892年5月2日、ジェームステイラーは57歳で亡くなりました。24人の男たちが交代で棺をルーラコンディラからキャンディのマハイヤ墓地までの果てしない道のりを徒歩で運んだといいます。その後を追ってたくさんの労働者たちがついて歩き、長い行列ができ... -
冨春園
長崎県平戸にある冨春園は、栄西が平戸に上陸して、その場所に宋から持ち帰ったお茶を植えたとされている茶園です。 その茶園はバスが走る山道の横にぽつんと存在しています。千光寺付近のバス停からその茶園の場所をバスの運転手さんか近くを歩いている人... -
ノリタケ
キャンディから1時間位のところにあるマータレーというところに日本 から進出しているノリタケ・スリランカがあります。ここではとても安く陶磁器を購入することができます。(2013-10-23) -
ルーラコンディラ茶園 その8
現在の工場は1923年にできた三番目の工場です。二番目の工場は倉庫として使われています。ルーラコンディラティーエステイトの労働者は700人、年間生産量は約30万kgです。1人当たりの平均茶摘み量は18kg、賃金は一日あたり600ルピーです。(2013-10-21) -
ルーラコンディラ茶園 その7
現在ルーラコンディラ茶園のマネージャーが住むバンガローです。(2013-10-19) -
佛隆寺
平安時代、遣唐使として唐の長安で学び、真言密教を持ち帰った空海が日本にもたらしたものは仏教の教えや中国の進んだ技術だけではありませんでした。 それは、お茶を楽しむ心なのです^^ 大自然を散策した後は、たった一杯のお茶があればそれで十分であ... -
ルーラコンディラ茶園 その6
ルーラコンディラ茶園の中で7番は初めて茶園の中の初めて茶園です。ジェームステイラーが200人の労働者をつれて入り、土地を整備して、アッサム種の茶種をまいて育てたのは、この削った岩山の2haです。 (2013-10-16) -
日吉茶園
日本のお茶はいつから始まったのでしょうか? 正史に初めてお茶が登場するのは、平安時代のことです。805年最澄と一緒に唐から帰国した僧永忠が815年梵釈寺で嵯峨天皇にお茶を差し上げた記録があります。 日吉茶園は、天台宗を開いた最澄(767~822)が留...