新安江、横江、率水河、3つの河が合流する埠頭として発展したのが、屯溪街。
明朝弘治年間(1488年 – 1505年)に出版された『休宁県誌』にすでに屯渓街の記載があり、清朝康熙年間(1662年 – 1722年)に至っては「屯溪街、件東三十里、鎮長四里」と相当な規模を誇っていたことがうかがえます。
うだつのあがる街並みを歩けば、気になるのは黄山名物黄山焼餅。買わなくても試食だけでお腹いっぱいになるほどあちこちで販売しています。歴史を遡れば、1357年、朱元璋が空腹のため立ち寄った徽州の農家の主人にもてなされて食べた焼餅を忘れず、翌年皇帝になってその焼餅を封じたと言います。
もう一つの名物は、徽州毛豆腐。文字通り発酵して白い産毛のようなものが発生したお豆腐のこと。これもまた朱元璋が空腹のために逃げ落ちた先の休寧で毛豆腐を炭火で焼いて食べ際に感動したしたため伝わったものです。
安徽省が排出した歴史大偉人の一人、貧農から身を起こし一つ王朝を打ち立てた朱元璋は空腹を満たしてくれた食べ物を名物しているのでした。
~2018年4月16日facebook記事より
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