河回村の宗宅は慶尚道都事を務めた柳師春の曾孫である柳道性が1862年に母屋と大門間とよばれる表門の内側の両脇ある建物、位牌を奉る祠堂を建てて現在の姿となりました。
大門間棟は正面7間、側面1間で真ん中にソッスル大門とよばれる一段高い門が構えられています。
母屋の横には広い板間があり、独特の田の字型の4間の部屋から構成され、前方の2部屋は居住空間として、後方の2部屋は収納空間として活用されました。
母屋の左側に3間を超える広さの台所が有り、多くの人々が生活できるようになっていました。
このような構造は財力があり地位が高い両班しか使用できない特別なものです。(2011-01-15)
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