1834年、インド総督ベンティンクがインドにおける茶栽培を検討する茶業委員会を設立し、茶業委員会委員の一人ゴードンが中国に派遣されました。1835年、カルカッタに送られた茶種が発芽に成功し、4万2千本の苗木にそだちます。そのうちの2万本がアッサム最初の茶園サディアに送られ、そこが茶樹栽培に適さなかったためほぼ全滅してしまいました。生き残った茶樹はここジャイプール茶園をはじめ数か所に移植されました。
中国種が生きた証がここにあります。
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1834年、インド総督ベンティンクがインドにおける茶栽培を検討する茶業委員会を設立し、茶業委員会委員の一人ゴードンが中国に派遣されました。1835年、カルカッタに送られた茶種が発芽に成功し、4万2千本の苗木にそだちます。そのうちの2万本がアッサム最初の茶園サディアに送られ、そこが茶樹栽培に適さなかったためほぼ全滅してしまいました。生き残った茶樹はここジャイプール茶園をはじめ数か所に移植されました。
中国種が生きた証がここにあります。