おばあちゃんのお茶の話@鹿児島県徳之島

大樹下の縁台

庭に残る茶樹

家主

昔、昔、遣唐使南航路の中継、中国大陸や朝鮮半島とも平和な交流があった徳之島が歴史に翻弄され始めたのは、1429年に琉球が侵攻して親方が置かれ、その後約20年間琉球に対する反乱があったものの、琉球王朝によって統治されることになりました。1609年(慶長14年)には薩摩の琉球侵攻によって、徳之島を含む奄美群島は薩摩に割譲されました。明治の琉球仕置きで琉球は沖縄県になりますが、徳之島を含む奄美群島は鹿児島県に編入されました。
戦後の昭和20年9月、ポツダム宣言を受けて、米軍が上陸し島を占領進駐、日本の行政と分離され米軍統治下に編入、昭和26年のサンフランシスコ平和条約では、日本の主権範囲を北緯29度以北としたため、本土復帰ならず、新たに米軍統治下の琉球政府に編入となりました。昭和28年12月、日米交渉によって、奄美群島が本土に復帰、鹿児島県に再編入されることとなり現在にいたります。
数え年90歳になるおばあちゃんのお家の庭にはお茶の木が並んでいます。それはお父さんが大工で島のあちこちでする仕事先からもらってきたものでした。その時からそのお茶の木は振り茶上手なお母さんとともにありました。庭のお茶の木と玄米で振ったお母さんのお茶はたいそうおいしく、戦中も、昭和20年代島が孤立して自給自足の生活をしていたときも、お母さんが振る美味しいお茶で家族も近所も心豊かに暮らしたそうです。
昭和30年代に本土との行き来が回復しました。あれからたくさんの時が経ち、振り茶上手のお母さんのようなお茶を飲むことはなくなったけれど、庭のお茶の木は今でもここにだけ残っています。

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