アッサムティーの父とジンポー族(景頗族)を知る@豊橋

お茶作りをする少数民族はヤオ族(瑶族)、ジンポー族、ハニ族。
お茶作りはヤオ族によって始まり、ヤオ族のいる所には100%茶があると言われるほどその関わり深いものでした。歴史も前漢時代に遡るといいます。ヤオ族の故郷湖南省はかつては中国随一の茶産地でした。ヤオ族の伝説には槃瓠という竜犬が敵王の首を討ち取る手柄を立て、漢族の王女と夫婦になり、その間に生まれた6男6女がヤオ族の12姓の始祖となったとする槃瓠神話が有りますが、『後漢書南蛮伝』にも記載があり、これが日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたという説もあります。
ヤオ族がお茶作りを始めた民族ならば、ジンポー族はお茶を広めた民族です。インドのアッサムで大英帝国側が発見した昔から自生していたであろうとしたお茶は、ジンポー族がミャンマー側から持ち込んたものだというのが、松下先生の考えです。ミャンマーのカチン州がアッサム茶の原産地で、1823年にロバートブルースが川向こうに見たお茶がそれでした。ジンポー族がアッサムにお茶を持ち込み栽培していたお茶はミャンマーで食べるお茶で使っていた茶樹。その村の村長さんをブルース紹介したのが、マニラムデワン(Maniram Dewan)です。
マニラムデワン(Maniram Dewan)は東インド会社側で働いていて、ジンポー族が栽培しているものが、中国茶葉に似ているとロバートブルースに教えたアッサム人です。
アッサムティー誕生の誕生によって、東インド茶会社が設立され、デワンはそこで働き始めますが、英国人が現地の茶労働者に対して行っていた酷い行為を不服として辞職し、自らの手でジョルハッ(Jorhat)近くシンナマラ(Cinnamara)でアッサム人によるアッサム茶栽培を始めました。
この時期、イギリス植民地支配に対する民族的抵抗運動の気運が高まってイギリスに対する抵抗運動があちこちで起きていました。デワンも抵抗運動に加担したとされて捕らえられ裁判で絞首刑を宣告され、1858年2月26日、刑務所で公開絞首刑にかけられました。アッサム人によりよい生活を求めて闘い力尽きた彼の死に対して、茶園の地元労働者が立ち上がり、ストライキを敢行して反乱支持を表明、アッサムの抵抗運動はこれによって本格的に始まることになったとされています。
トクライ茶研究センターの近くにデワンの茶園跡があるそうです。
嘆き、茶園の地元労働者が立ち上がり、ストライキを敢行して反乱支持を表明します。 今まで抑えられていた反乱が、本格的に始まることになりました。
消滅の道を辿ったアホム族、お茶を伝えたジンポー族、そして、アッサムティーの父としてアッサム茶の歴史のなかで見直されつつあるマニラムデワン、そんな歴史の一場面を探すアッサムの旅も良いですね。前回突然行けなくなってしまったブラフマプトラ川辺のブルースのお墓まいりも含めて。
~2018年7月6日facebook記事より

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