古都の茶聖地巡礼二日目

①京都の和朝食
清水寺に見守られた絶景ロケーションに建つ古き良き時代の小学校清水小学校がリノベーションして青龍という名のホテルに生まれ変わりました。明治2年、未来の京都の輝かしい街づくりをめざし、先人たちの英知と努力・地域住民の寄付により、番組小学校として開校したものの廃校となった小学校です。ザ・ホテル青龍京都清水は世界遺産 清水寺や八坂神社、祇園へのアクセス抜群な立地、講堂だったスペースはライブラリーレストラン・バーとなって京の食を供してくれています。
<2020年8月懐かしいが新しい京の養生ブレックファースト>
スターターはサラダ、フルーツ、ヨーグルト
京の和食膳
季節の小鉢、焼き魚(サケの西京焼き)、卵焼き、豆腐料理、京の漬物盛り合わせ、お味噌汁、ご飯
お茶はほうじ茶
②建仁寺新茶樹に会いに行く
建仁寺の生垣は茶樹でできています。栄西の茶碑の後ろに見えるのは、茶の招来800年を記念して平成3年に作られた茶園です。毎年5月10日にはここで摘んだ茶葉で作られた抹茶が開山堂に供えられます。
お茶の木から人と自然のつながりを見つめなおすオチャノキプロジェクト。
オチャノキプロジェクトは現在、主に静岡県掛川市内で役目を終えたオチャノキを活用することを目的に取り組まれています。掛川茶は、平成28年6月5日の開山忌法要から、掛川茶振興協会より建仁寺に献納しており、掛川市という共通点からオチャノキプロジェクトとして掛川市内で役目を終えた大きなオチャノキを、献納しているようです。献納するオチャノキは、他に比べても背の高い、一対のオチャノキです。国宝「風神雷神図」をイメージして、三門前に対で植えることとなりました。7月には献納式も執り行う予定となっていましたが、中止となったようです。
③北野大茶會址@北野天満宮
日本の歴史上最も有名な茶会と言えば、北野大茶会。1587年11月1日に京都北野天満宮境內において豊臣秀吉が催した大規模な茶会です。この年7月に九州攻略を完成した秀吉は、国中普く自らの権威を示すため、京都北野の森において10月1日から10日間、茶会を開催するという触書を貼りだしました。当日は京都だけではなく大坂・堺・奈良からも大勢の参加者が駆けつけ、茶席の数は1500に及び、招待客だけでも5000人にも上る大規模なものとなりました。農民出身の秀吉らしく、北野大茶湯は、身分の違い、貧富の差に関係なく誰でも参加可能だったと言われています。当時、豊臣家の茶頭(さどう・茶事を取り仕切るトップ)として従事していた千利休、豊臣家に従事していた茶人津田宗及、今井宗久などが中心となり北野大茶湯は行われました。
北野大茶湯之址石碑から徒歩すぐの場所に太閤井戸があります。この井戸水で秀吉がお茶を立てたと言われています。
④ポルトガルレストランの夏季限定おやつ
④金閣寺
お釈迦様の舎利を祀った舎利殿「金閣」にちなんで金閣寺と呼ばれる鹿苑寺。この地は鎌倉時代に西園寺公経の別荘北山第が在りましたが、足利三代将軍義満が気に入り、1397年に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。
金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現わしたと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)も招かれたと言います。室町幕府は明国との交易を盛んに行い、北山文化の中心地として発展しました。
義満没後、遺言により夢窓国師を開山(初代住職)とし義満の法号鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名付けられました。
水面に揺れる金色の影が美しかったこの日の金閣寺です。
⑤玉露茶喫茶房
京田辺の玉露中心のメニュー
水出し玉露をいただきました。

2020年8月23日facebook記事より

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