今日は奈良は大和茶発祥地とされる空海ゆかりの仏隆寺へ。
今回はレンタサイクルを利用したおけげで前回見逃した弘法大師爪書き不動尊や弘法大師の石清水で止まることもできました。
今日8月24日は地蔵盆、仏隆寺下で行われる地域行事地蔵盆の準備が行われていました。
地蔵盆とは、旧暦の7月24日、月遅れの8月24日に行われるお地蔵様の縁日です。京都をはじめとして、近畿地方、若狭地方などで行われている行事です。
地蔵信仰という宗教的な性格を持ちながら、町内安全や子どもの健全育成を願う町内の行事として、時代とともに変化しながら受け継がれてきました。お地蔵さんは中近世以降子供の守り仏として信仰されるようになりました。江戸時代、京の町の人口が増加し、市街地も広がっていきました。町を単位とした住民自治が広がっていくことになりました。その頃から、お地蔵さんを祀る行事「地蔵祭(まつり)」「地蔵会(え)」(明治以降,盆行事の一つとして「地蔵盆」と呼ばれ町内の主要行事の一つとなりました。明治初期に入り、廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)が行われて、路傍にあるお地蔵さんの撤去が進められてしまいました。市内でも多くのお地蔵さんが撤去されました。しかし、明治の中期以降に撤去されたお地蔵さんを土中などから掘り起こし、「地蔵盆」は復活することになりました。
地蔵盆は子どもたちにとって夏休みの最後を飾る行事となり、お地蔵さんを飾り付け、お供えをして祀り、その前で子どもたちが集まり遊ぶというスタイルが一般的となっていきました。また、子どもだけでなく、大人も積極的に参加することで、幅広い世代の交流の場となり、さらに、「地蔵盆」の開催に向け、町内の住民が力を合わせ、話し合いながら準備することは、町内の連携や協力体制を強めることになりました。
関東人にとってはあまり身近ではない行事、この地蔵盆はどのようかことをする行事なのか、少しまとめてみました。
①場所
お地蔵さんを祀った祠の前
②地蔵盆の準備
地蔵盆が近づくと、町内の人たちは、お地蔵さんを祠から出して、清め新たに彩色するお化粧を行い、新しい前掛けを着せます。
会場周りには行灯や提灯(お寺などに奉納してある子供たちの名前が書かれたもの)などで飾り立てするというのも特徴です。飾り立てについては地域によって青竹を立てたりローソクの火をつけたりと、地域によってさまざまな違いが見られます。
③供物などの飾り付け
町内の人たちからお供えを集め,お地蔵さんを祀る祭壇に花や供物,お札(地蔵(じぞう)幡(ばた))などを飾り付けます。火を灯した提灯(ちょうちん)に似ているところからホオズキをお飾りの花として使うことが多い多いです。供物としては,紅白の餅や落雁(らくがん)(白雪糕(はくせんこう))といったお菓子,果物,精進物のお膳などが供えられます。白雪糕とは、うるち米ともち米の粉に、白砂糖や蓮の実の粉末を加えて型に入れ、乾燥させた落雁の一種です。口の中に入れると、しっとりして、ほろほろ雪のように溶けるところから、そう呼ばれるようになりました。
京都にもどる前に、例年地蔵盆が盛大にとりおこなわれる世界遺産元興寺へ。
平安時代の前半期まで元興寺は南都七大寺の中でも各方面で指導的な役割を果たし、数々の名僧を輩出して仏教の発展に寄与しただけでなく、お盆で知られる盂蘭盆会、釈尊の降誕を祝う灌仏会、組織的慈善事業のはじまりとも思われる文殊会などすべてこの寺からおこりました。当時の平安京に住む貴族たちにとっては南都七大寺を巡礼することが心のふる里を訪ねることである最上の楽しみでもあったそうです。
鎌倉期以降の中世を通じてこの寺は浄土信仰のほかに地蔵信仰、聖徳太子信仰、弘法大師の真言信仰などで群集をあつめ、近世にその伽藍と伝統を伝えました。
2020年8月24日facebook記事より