安土桃山時代豊臣秀吉が行った朝鮮出兵、帰国の際に連れ帰った数多くの陶工達の活躍が肥前皿山の磁器製造の礎となりました。有田焼は鍋島藩を支える産業の一つとなり、VOC(東インド会社)をとおして世界へ輸出され、その名を知られるようになりました。
かつて皿山村と称した有田焼生産地有田町を歩けば、VOCの文字の文字を目にします。煉瓦の煙突、石畳など風情のある小路にそって所々に出現するトンバイ塀、それは登り窯の廃煉瓦や壊れた皿などを材料にした塀です。窯焼は裏通りに屋敷と仕事場を構え、製陶技術の秘密を守るためにトンバイで塀を作ったのです。
2020年11月12日facebook記事より