富士川を渡って間の宿と呼ばれた地を歩く。東海道の吉原宿と蒲原宿の間に位置し富士川を渡る旅人が一休みすることから間宿が始まりました。
小休本陣常盤家は身分が高い人が休憩をとる小休本陣としての役割を果たしてきました。1836年には西条藩9代藩主松平頼学(西条少将)が身延山が身延山参詣で1080人余りを率いてここで小休をとりました。
光福山新豊院山門の扁額は、1677年に明から長崎に来航し帰化僧となった心越興儔が1683年水戸光圀から水戸に招かれた旅の途中の揮毫です。
この地が、広重が『東海道五拾三次』全55図のうち『蒲原夜之雪』のモチーフとなりました。『庄野之白雨』『亀山之雪晴』とともに役物と称されています。
どこを歩いても大きな富士山付き風景があった一日😊
2022年12月24日facebook記事より