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shinowazuri
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ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 クニャアルク王様のモスク
ウズベキスタンのモスクやミナレットなどの建築物は1920年のソビエト赤軍による破壊から多くがまぬがれることができませんでしたが、ヒワの町は王様は頭が良く赤軍がやってきた時にすぐに町を解放して抗戦しなかったために保存状態の良いまま現在でもほぼ... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 クニャアルク謁見の間
クニャアルクの王様が謁見する場所には玉座の両脇に2本のアイワーン(柱)が建てられています。後方の扉は3つ。右が王様、中央が大臣、左は訪問者が使用しました。(2008-05-26) #Once apon a time in Silk Road #絲綢之路 #シルクロード -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 クニャアルク
クニャアルクのクニャとは古い、アルクは城という意味があります。かつてホラズム王国の都だったヒワには古い城と新しい城があるのです。クニャアルクは17世紀に造られました。入口の4つの窓から王様は処刑を見学したといいます。4つの窓にはそれぞれ影... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 ムハマドアミハーンメドレッセ
かつてホラズム王国の都だったヒワにあるムハマドアミナーンメドレッセは1851~55年にかけてムハマドアミハーンという王様が建てたメドレッセ(神学校)です。今までのメドレッセとは異なり、いきなりバルコニーがあったり、植物図柄が特徴的です。(2008-... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 アルホラズム
かつてホラズム王国の都だったヒワの城壁前にたたずむ像はアルホラズムというホラズムの偉人です。数学者であり、哲学者であり、詩人であり、0を発見した人として知られています。(2008-05-21) #Once apon a time in Silk Road #絲綢之路 #シルクロード -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 アタダルワザ門
アタダルワザ門はかつてホラズム王国の都だったヒワの西門で正門にあたります。ホラズム・シャー朝はモンゴル帝国によって滅ぼされるまで中央アジアからイラン高原までを支配下においていた王国です。ウズベキスタンにはブハラハーン、ヒワハーン、コーカ... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 ヒワ
ホラズム王国の都だったヒワの誕生にはこんな伝説があります。昔、アラビアからヌクの息子が暑さでふらふらになりながら旅を続けていて、ここで水を飲んだ時あまりの美味しさにヒワーと言ったところからヒワという名前がつけられたという伝説のある町で、... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 砂漠のチャイハナ
ウズベキスタンに広がるキジルクム砂漠は現地の言葉で赤い砂漠(カラクム砂漠、黒い砂漠もありました)という言葉の意味を持つ砂漠です。砂漠というより荒野という感じでしょうか、このような厳しい環境でも野生動物たちが多く暮らしているのだそうです。... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 アムダリア川
アラル海にそそぐ大河アムダリア川はソビエト時代の政策でそこから多くの運河が造られました。それによって綿花産業は発展をとげましたが、その反面アムダリア川の水が干上がってアラル海にとどかなくなる時期が生まれてしまうようになりました。その結果... -
ウズベキスタン
〈Silk Road in 2007〉 チャールミナル
ブハラの普通の住宅街を入ってゆくと出会えるチャールミナルは1805年にトルクメニスタンの裕福な商人が四人の娘のために建てた建物です。ミナレットはそれぞれ模様が異なります。それは娘さんたちのそれぞれの性格を表したのだとか。(2008-05-16) #Once ...