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<上海建築2004&2014>外灘信号台
延安東路外灘 1907年に建てられた時には地元の人々から天文台と呼ばれていました。のちに気象台、信号台とも呼ばれ親しまれてきました。信号台の役割は黄浦江を通行する各国の船に毎日5回気象情報を知らせることでした。午前9時半、午後3時は海に出る為... -
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<上海建築2004&2014>峻嶺公寓(グローヴナーハウス)錦江飯店中楼
茂名南路87号 サッスーングループの華懋地産公司とパーマー&ターナー設計事務所という当時の上海建築界を席巻した2社はたびたび組んで素晴らしい作品を生み出しました。 1935年フランス租界蒲石路にそんな2社に建てられた18階建の外国人向けマンション... -
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<上海建築2004&2014>華懋公寓(キャセイマンション)錦江飯店北楼
茂名南路59号 キャセイマンションは1929年、サッスーン財閥によって建てられた高級アパートメントで上海西区最高の建築物といえます。設計は外灘(バンド)に並ぶ建物そしてサッスーン財閥の建物を数多く手がけたパーマー&ターナー事務所です。キャセイマ... -
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<上海建築2004&2014>蘭心戯院(上海芸術劇場)
茂名南路57号 蘭心劇院は茂名路の優秀近代建築風貌保護区の中にあり、付近には錦江飯店(かつてのキャセイマンション、グローヴナーハウス)、フランスクラブ、国泰電影院など、上海の歴史文化を象徴する代表的な地区にあります。 1930年代、上海でもっとも... -
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<上海建築2004&2014>宋慶齢故居
淮海中路1843号 宋慶齢(1890~1981)は、四大家族のひとつ宋家の次女として上海に生まれました。1914年孫文(孫中山)と結婚、孫文死後は国民党左派に属し活動を続けました。故居はドイツ人の別邸として20年代に建てられ、さまざまな人の手を経て1945年に... -
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<上海建築2004&2014>盛宣懐住居(段祺瑞公館)
淮海中路1517号 かつて駐上海日本領事館は黄浦路25号にありましたが、抗日戦争後没収され、国民党海軍司令部や国連の事務所などのために使われました。 中日国交回復後、日本領事館は淮海中路1517号の洋館に設けられます。 その洋館はドイツ人が建て、清朝... -
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<上海建築2004&2014>上方花園
淮海中路1285号 上方花園はかつて沙法花園とうユダヤ人の個人庭園でした。1933年、浙江興行銀行がそれを買い取りましたが、世界的に不景気なおりからそのまま建物は放置されていました。1937年に日本の進軍が始まり、銀行は関係者を安全な租界地内に住まわ... -
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<上海建築2004&2014>皮恩公寓(培文公寓)
淮海中路449号 皮恩公寓は1930年にフランス企業によって建てられ、1940年代後期に孔祥煕所有となりました。孔祥熙は孔子75代目の子孫で、辛亥革命に参加していらい国民党政権の要職につき、財政金融の実権を握り、中国四大家族と呼ばれました。孔祥熙所... -
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<上海建築2004&2014>尚賢坊
淮海中路358弄 尚賢坊はもとはキリスト教の教会でしたが、純粋な教会とはちょっと意味合いが異なった教会と言えるかもしれません。中国国際学会という意味をもつ英名のこの学会はイエスキリストを信仰するとともに孔子のことも崇拝しているということから... -
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<上海建築2004&2014>郵政総局大楼 上海市郵政局
北蘇州路276号 清朝が郵政事業を開始したのは1896年、しかし1923年までその大きな国脈は外国人に握られていました。鐘楼風の塔屋が印象的な古典主義建築の郵政総局大楼は1924年に建てられました。 かつて鐘楼部分には天使や手紙を書く女神などの像が置かれ...