福澤諭吉が少年時代過ごした母親の実家と茶と菓子と

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」
福澤諭吉は一歳半の時に父親と死別し、母親の実家中津に帰郷しました。3歳から21歳まで過ごした家が国指定史跡として残っています。1803年築の木造瓦葺平屋建て、諭吉は19歳で長崎に遊学するために家を出るまで土蔵で勉強に励んだと言います。
小さな庭に植る茶樹は白い花をつけています。ここ中津は耶馬渓茶産地です。
売店に売っていた銘菓は、さすが多くの蘭学者を排出し、『解体新書』が編纂された土地大分から生まれた薬膳菓子巻蒸(けんちん)。中津藩の外科医だった田中信平が、長崎で唐人と交わり、漢方料理の一つとして生み出したもので、本葛、砂糖、小麦粉に濃口醤油から作られます。江戸時代に生きた地元の外科医が長崎で学び著した中国朝鮮料理書『卓子式』を参考に中津の菓子職人たちが今風に復活させた郷土菓子です。福澤諭吉の母が大好物だったということで、諭吉が3歳から21歳まで過ごした史跡でも販売しています。

2020年11月7日facebook記事より

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