12月2日渋谷ヒカリエにおいて日本茶AWARD日本茶大賞が決定しました。
日本茶大賞は有限会社茶友の「あさつゆ」、準日本茶大賞は原田製茶の「心茶 鬼木みどり」と、一位も二位も長崎県のお茶でした。
個人的に嬉しかったことは、今年大寒の折訪れた徳島県三好町有瀬で美味しくいただいた懐かしいお茶に東京渋谷のヒカリエで再開できたことです。山地の美しさや作り手さんの素晴らしさを知っているとなおさらそのお茶が美味しく感じられますね^^
表彰式後の日本茶インストラクターによる各受賞茶のプレゼンテーションでもたくさんお茶を飲んで大好きなお茶を購入できました。また来年が楽しみです。
〜2018.過去記事より〜
【天空ノ茶&山茶・有瀬@四国茶遍路⑦】
12世紀後半(1185年)、京都を逃れた平家が讃岐屋島で源義経軍に敗れ落ち阿波山岳武士となった(平家落人伝説)が残るこの一帯、高知県との県境にある徳島県三好市にある有瀬戸集落では山間部に茶畑が広がっています。
山霧にしばしば包まれる南向き斜面は徳島県の有瀨、向かい側は碁石茶産地である高知県の大豊町があります。両側ともぜんまいがよく採れたのだけど、北側の大豊町のほうが良かったと。
現在61歳の平松さんの家に電話がきたのは中学一年生の頃、そのまえまで標高430〜450mに民家が点在した有瀬地区では例えば雪のせいで休校になる時には一番山の上に住んでいる家に休校の知らせが入り、その子はすぐ下の家の子に、またどんどん伝言ゲームのように麓の家まで休校の知らせを届けたのだそうです。人の憶記に残る茶業は大正期、静岡から手揉み技術を教えてもらったこと。各家に焙炉があり夕方になると皆で自分が作った茶を持ちより比べ合って、切磋琢磨して技を磨いた結果、井本八郎、立道才三など技術名人の名が残りました。また、茶の畝に竹をトンネルのようにさして“すご”をかけるかぶせも行われたそうです。昭和40年代からボチボチやぶきたの導入が始まって、養蚕用の桑畑などが茶畑に変わりました。現在山茶は一回だけ、やぶきたは一番、親子、番茶を摘みます。かって共同を含めて7軒あった製茶工場は今3軒残るのみです。
~2018年12月2日facebook記事より