







新羅時代の思想家・儒学者崔致遠(857〜海印寺に隠遁)は、12歳で才を認められて唐に留学、17歳で科挙に合格して承務郎侍御史内供奉となりました。28歳で帰国して新羅の国政に携わり、唐の制度移入に苦闘するも敗れて、893年には遣唐使に任命されても行かずに放浪生活を送りました。放浪中の事でしょうか、釜山の海と奇岩怪石に魅せられて、彼が海雲台と刻んだという岩石が今も残っています。崔致遠の号である海雲はこの地域名(海雲台)となりました。
海雲台は、2005年にAPECが行われた会場にもなりました。ちなみに会場には11月18日の夕食が展示されていましたが、デザートの伝統菓子は、団子・油菓・花菜でした。
唐文化の薫陶を受けた崔致遠の茶生活は、「桂苑筆耕」謝探請料銭状の一文「本国使船過海。某欲買茶薬。寄附家信」があり、茶と薬を唐から輸入していたことがわかるといいます。
金大廉が唐に使臣として行って帰国した際、唐より持ち帰った茶種を植えた茶の始培地双磎寺(慶尚南道河東郡花開面花開里)境内には崔致遠の親筆である双磎石文、真鑑禅師大空塔碑(国宝・韓国四大金石文)ともに「謝新茶状」碑が残ります。
2024.11.18facebook記事より

