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石鎚黒茶最期の継承者
石鎚山では、庭先に筵を広げてお茶を乾すと、周囲に良い香りが立ち込める、学校の先生が下から家庭訪問で上がってきて、「芳ばしい香りがするので何の香だろうとここまで来たら、お茶だったんですね」と、村の入り口に入ったらお茶を乾す香りが一面に漂っ... -
黄山市祁門県百年紅茶有限公司 茶摘み編
黄山市祁門県百年紅茶有限公司は2003年創業の会社。安徽省黄山市祁門県内車で3〜4時間かかる海抜300〜400mの生態環境の良い山深い場所に茶畑を持っていますが、生葉の仕入れもします。 山深い茶畑は時間がかかるので、今回はあきらめて、近くで茶摘みを... -
石鎚山のお茶②
屋島の戦いに敗れた後、平家の軍勢が四国に散ったのは、栄西禅師がお茶を持って帰った頃。それから、平家の末裔たちは先祖が生きた証として石鎚黒茶の製法を伝えてきました。この地の平家の文化遺産は石鎚黒茶と愛媛県最古の民謡、この2つです。石鎚山民... -
安茶無形技能伝承者@安徽省祁門県江南春茶廠
安徽省の固形黒茶である安茶は、孫義順、晋義順、新華順、正義順、六安義順、廖雨春、汪福春、汪厚豊、胡万春など民国時代にはたくさんの安茶を扱った商号が存在していましたが、その歴史は一度途絶えました。 激動の時代を経て、かつて安茶を愛した東南ア... -
櫧葉種の茶畑を歩く@安徽省祁門県
黃山毛峰、祁門紅茶、安茶を生産する祁門県一枝春茶廠の茶畑を散歩。緑茶も、紅茶も、黒茶も、全て櫧葉種を原料としています。茶摘み人はお晝ごはんで家に帰っている人もいるとか、茶畑の畝に座って食べている人もいます。 戻ってくると、萎凋用竹茣蓙が巻... -
安徽省祁門で作るお茶@祁門県一枝春茶廠
安徽省祁門で作られる後発酵黒茶。祁門安茶の作り方は、梅雨が終わる頃、原料荒茶を清明節から穀雨に行われた摘採時間によって、頭芽、貢尖、毛尖、一級、二級に分けます。 白露の頃、夜外に出して露にあて、昼間蒸して熱い内に籠詰め、烘乾するのです。 ... -
石鎚山のお茶①
平清盛生誕900年。 1181年2月清盛の病没によって強力な指導者を失い弱体化してゆく平氏は、寿永2年(1183年)7月安徳天皇と三種の神器を奉じて都を落ち、九州大宰府まで逃れましたがそこからも追われて、海上を流浪した末に阿波国の田口氏に迎えられて... -
徽州建築の粋②安徽省黄山市黟県西逓村
618年に李渊が唐王朝を開き、290年間栄華を極めるも907年に朱全忠に王位を簒奪された際生きのびた第19代昭宗(李瞱)の子が民間に隠れて姓を胡と改名聚居した村が西逓村です。 950年、村の人々は皇帝の子孫であるという気概を心に抱きながら身分が一番低い... -
徽州建築の粋①@安徽省黄山市黟県宏村鎮
“四水帰堂”、“天人合一”、“坐井観天” 徽州建築の天井は開いて、それぞれの家に空がありました。風水五行において財の象徴は水で、天から降る水を天井の底で受け止めたのです。井底に座って小さな空を見上げながら読書した子どもたちはやがて故郷を離れ立身... -
金正喜記念館@チェジュ島
秋史・金正喜(1786~1856)は韓国人であれば知らぬ人はいないほど、朝鮮末期に「字が詩であり、詩が絵である」と称された秋史体という独特な書体を創造した著名な書芸の大家です。 同時代に生きた茶聖艸衣禅師は手製の茶を茶人に贈ることを常としていたの...