台湾茶出来事メモ 清治時代

・1717年 中南部地方水沙連(現在の南投)に野生茶樹があり、付近の住民がその幼芽を採って簡単に加工製造して夏バテの薬として用いた。(周鍾瑄(清朝官員1714~1719台湾府諸羅県知県)の『諸羅県誌』(現在の嘉義)より)
・1785~1795年 
・1810年 清朝嘉慶年間15年、福建出身の柯朝が武夷山から茶種を導入して、台湾北部に茶栽培が広がった。(『台湾通史』より)→人工茶栽培起源
・1821年 道光年間以前に商人が茶をもたらし、石碇堡・文山堡の二堡の住民が作った茶が福州で売れた。(『淡水廰誌』より)
・1855年 林鳳池が福建武夷山から持ち帰った茶の苗を鹿谷郷凍頂に植える。
・1865年 スコットランド貿易商ジョン・ドットと買弁李春生が安渓の茶苗を持込み、それを農家に貸与し茶葉を生産させ、生産後に買い取る事業を開始。
・1869年 ジョン・ドットが創業した宝順洋行(デント商会)が艋舺に茶葉精製工場を設立する。生産した烏龍茶をFormosa Teaの商品名でニューヨークへ輸出。
・1872年 徳記、怡和、美時、義和、新華利という5大洋行が大稲埕に支社を相次いで開設し、欧米向けに茶葉輸出するようになる。
・1873年 世界恐慌(金融危機1973~79)のあおりで輸出不振で滞った烏龍茶を福州で薫花包種茶にして東南アジアに輸出する。→台湾包種茶の始まり
・1875年 恆春縣(台湾清治時代の県名)に知縣として赴任した周有基が茶栽培を奨励。満州郷港口村斜面に台湾最南端の茶畑が誕生する。
・1881年 福建同安茶商呉福老が源隆號茶厰を開設、薫花包種茶を生産。台湾発包種茶の先駆けとなる。
・1893年 台湾主任巡撫劉銘傳が茶郊永和興(茶業共同組合)及び茶釐(茶税)總局を設立。

~2024年6月10日facebook記事より

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