中山東一路1号
亜細亜(アジア)大楼はどうして“外灘第一楼”と言われるのでしょうか。1916年に建設された当時外灘(バンド)で一番大きな建物だったこともそのひとつでしょうが中山東一路の1号であるということが大きな理由かもしれません。
1916年にマクベイン商会が建設した当時は麦克倍恩(マクベイン)大楼といいましたが、1917年にイギリスの亜細亜火油公司に買われて亜細亜大楼となりました。火油という文字どおり、亜細亜公司は石油会社です。上海は中国でもっとも早くもっとも多くの石油が輸入された港でありました。旧中国で使われていた石油はすべて外国から輸入されていました。19世紀後半のこの時代、植物油を燃料としたランプや紅いロウソクが照らした社会は石油ランプへ移行しつつあり、工業化も進み、石油の需要が急速に 高まっていました。このような背景から、1907年に亜細亜火油公司も上海に事務所を設立し、1917年亜細亜大楼に移転してから1966年に操業を完全停止するまでの半世紀、戦争や内戦による浮き沈みはありましたが、建物は亜細亜公司の亜細亜大楼でした。
亜細亜大楼正門両側の柱にはかつてロイヤルダッチシェルの銅メタルは現在、歴史的文化財として上海歴史博物館に所蔵されています。
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