南京西路104号
32年間“華僑の家”との美称を誇った華僑飯店は、1990年初に旧名を回復し金門飯店となりました。 実はこのビル、本来名前を華安大楼と言いました。華安郡人寿保険公司が1924年に建てたものだからです。
華安郡人寿保険公司は上海南匯人の呂岳泉が創設しました。呂岳泉はもともとイギリス系の保険会社で働いていましたが、聡明で勤勉な働きぶりと英語能力で南京支社の社長を任せられるまでに出世しました。 辛亥革命後、呂岳泉は社長の職務を辞去し、上海に帰って、華安郡人寿保険公司社を創設しました。 呂岳泉は革命で失脚した清の官吏から株式を募集し20万両という資金を得て、1912年7月1日、華安郡人寿保険公司は外灘30号にて式に開業しました。
呂岳泉は人材の育成や経営に優れていました。 例えば、陳英士、李英石、樊増祥、薩鎮氷、王一亭などの有名人の保険を無料でかけるかわりに彼らを会社の“話す広告塔”とし、さらに団体保険を創立し、商務印書館、新聞報、水道水会社などの有名な企業と契約を結びました。 華安の営業は日増しに発展して手狭になるたびに引っ越し、最終的に1926年に落成したこのビルに落ち着きました。
ビルの外観は新古典主義式ですが、さまざまな様式装飾が用いられています。 2階は会社の事務室、3~8階は華安ホテル、客室は120ありました。
戦中、上海の商業界は不景気に陥り、1939年に華安に客室の収入の30%を収めさせることを条件に香港華僑にホテル部分を貸し与えました。結果、設立されたのが金門大飯店です。
解放後、金門飯店は労資紛争のため、1950年に休業して、華東紡織管理局に賃借します。 1958年、華僑飯店と改名され、こうして華僑のための宿泊場所として親しまれたのです。
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