皋蘭路1号
二十世紀初期中国で実質上満州を支配していた張作霖(1875~1928)の長男として生まれた張学良(1901~2001)は当時の中国では歴史的役割をした人物です。
上海には1933年以後に三度にわたって滞在しています。最初は1933年3月、宋子文が彼のために用意した住居で、現在の延安中路にありました。しかしそこには長く住みませんでした。一ヵ月後、張学良はヨーロッパへ旅立ちます。二度目は1934年に帰国した際、侍衛副官が皋蘭路一号の洋館を用意しました。そこには北平(北京)から移ってきた趙一荻も一緒に暮らしました。ほどなく張学良は上海を離れますが趙一荻が住み続けたため、ここは張学良公館と呼ばれるようになりました。
建物はスペイン式三階建ての洋館で、前には広い庭がありました。庭は面積1000㎡、香樟、雪松、紫藤、玉蘭、金桂、銀桂などが植えられ、何人かが座れるブランコが印象的でした。現在、庭は荻苑と言われています。戦後、建物は1992年と1994年に改修されました。上海市房地産管理局迎賓館となり、それぞれの部屋には張学良にちなんで敬学庁、慕良庁、憶卿庁、少帥庁と名付けられています。壁には張学良と趙一荻のポートレートと書が掛けられました。この書は張学良が上海に残した唯一のものです。
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