チベットの春2/10

チベットを統一したソンツェンガンポ(松賛干布 581~649)は唐との交易に期待して太宗李世民の公主との政略結婚を望みましたが、青海地方を支配していた遊牧民国家吐谷渾の干渉でこの時の機会は流れてしまいました。
日に千里を走る龍種だと名を馳せた青海駿を産した吐谷渾と唐の間では唐の建国当初から良馬を絹や茶葉と交換する互市交易が行われ、友好な関係が保たれていたのです。吐谷渾のキャラバン隊はシルクロードを通り中央アジアやペルシャまで達し、その物産を益州や長安にもたらしました。
中華王朝では異民族国家を懐柔するために、公主(皇帝の娘)を嫁がせる慣例がありました。烏孫王に嫁いだ細君や、匈奴の単于に嫁いだ王昭君が有名な先例で、そのような公主を和親公主と言いました。唐朝最初の和親公主は、吐谷渾王に嫁いだ弘化公主(623~698)です。吐蕃の国力が吐谷渾を凌駕するようになると、文成公主(625~680)の降嫁が決まりました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。