清末民初、雲南における商業貿易の重要都市であった下関の鶴慶、騰冲、喜洲“迤西商帮”の中で、喜洲商帮は最も経営に長けていました。喜洲商帮は“四大家、八中家、十二小家”と言われ、永昌祥、複春和、元春茂、成昌などが沱茶加工業に従事、これら茶葉加工商号は下関に集中して最盛期には40軒を越え、下関は茶馬古道上最大の緊圧茶加工中心地及び茶葉貿易集散地となりました。当時永昌祥の商標は松鶴、獅球、茂恒の商標は松鶴、複春和の商標は鷹球、元春茂の商標は双虎、成昌の商標は双獅滚球、英雄、地球。
共産主義国家成立後、民営企業は接収され、1951年9月下関製茶工場が創立して商標は中茶に統一され、1990年まで続きました。
1991年11月、下関茶廠伝統登録商標“宝焔牌”が正式に商標登録されたのをかわきりに、翌年3月に“松鶴 (図形)”が復活。現在まで、下関沱茶集団公司は宝焔牌、松鶴(図形)、蒼洱、七子、下関、寺登など36の商標を登録しています。
(2017-1-23)
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