清福な時間

魯迅(1881~1936)、老舎(1899~1966)、巴金(1904~2005)、同じ激動の時代を生きた近代中国文学界を代表する三人の文豪、三人の共通点は旧社会の恥部を人々につきつけるような作品を発表し続けたことと、お茶を大変愛したということです。
魯迅は左翼文化運動に対する激しい弾圧や持病の肺病に苦しみ、人生の最期を過ごした上海の地で余命わずかと宣告されながらも死をテーマとする文章を残すなど不屈の精神を貫き通しました。一方で日本に渡る後輩へ日本の友人のためにお茶を託すほどのお茶好きでした。
老舎の作品には『茶館』を代表としてしばしばお茶のことが取り上げられています。北京の花と称された才能はお茶と共にありました。『茶館』では、力を尽くして茶館存続させようとする主人公がその努力も空しく時代の波に呑まれてゆき、命のように守ろうとしていた茶館を特務に奪われてしまいます。嘆き悲しんだ主人公がまき散らした弔いの紙銭がひとつの時代の死を暗示しています。そして、作者である老舎自身もいやおうもなく時代の渦に巻き込まれ、文化大革命中に弾圧され、自殺か他殺かはっきりしない不条理な死を遂げることになりました。
若き日に上海で魯迅と親交のあった巴金は代表作『家』で、中国に今もなお根強く残る迷信や家制度などの封建思想への警鐘をならす作品として高く評価されました。三十、四十年代にはたびたび文学界の友人と杭州の西湖に遊び、美しい思い出の代名詞のように西湖や龍井茶の文字を作品に刻みました。文化大革命では例外にもれず作家としての活躍の場を奪われ、「十一年間、私はたった一遍しか文章を書かなかった」という言葉を残しました。名誉回復、百才を越え病気に苦しみながらも時代の生き証人として中国文学界に君臨しました。
創作活動が厳しかった時代、自分の才能に背かず、時には死を見つめながら貫き通した執筆作業の中、彼らに訪れたつかの間の清福なる時間とはお茶と共にあったに違いありません。

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