王のモスクから流れるアザーンで時を知る、オスマン帝国スルタンバヤジット2世が治めたベラット。
オスマン帝国がバルカン半島を治めた権威の象徴は、ホッジャの時代徹底的に宗教弾圧を受けて、建築物は厩や倉庫になってしまい、ホッジャ死後も復活することなく、昨日訪れたオヌフリイコン博物館のように転用使用されています。地震で崩れたことを教訓として、1階を石造り、2階を木造にして採光の窓を大きくした建築スタイルを取り入れたオスマン帝国時代に建設された「クラ」と呼ばれる石造りの家々が山の斜面に軒を連ねた圧巻の風景は千の窓を持つ町と形容され、世界遺産となりました。
王のモスクの周りには独身者用のモスク、キャラバンサライやメドレセ、ハマム、ヘルワティーテッケ(イスラム神秘主義スーフィズムの旋舞道場)もありました。キャラバン隊が通る交易路なのでお金さえ払えば教会も建てられたのですが、ただしモスクよりも大きくしてはいけなかったという現実、聖ミハエル教会はよく言えばメルヘンのように崖の中腹にちんまりと建っています。
オスマン時代の貴族ムザカ家の豪邸もホテルに。古い街並みは観光資源として保護されています。
~2024年6月27日facebook記事より