マザーテレサは黙想会に出席するため、通いなれたダージリン行き汽車の中で、「貧しい人のために生涯を捧げなさい」という神の啓示を受け、コルカタのスラムで働く決意をします。1946年9月10日、決意の日です。
ユネスコの世界遺産として指定されたダージリン・ヒマラヤ鉄道は、トイトレインという愛称で知られるとともに、輸送手段としてその目的に役立つことに加えて、さまざまな人の夢や希望も生み出す魅惑的な列車です。
ダージリンに暮らす人々の多くはシッキム、ネパール、チベット、ブータンをルーツにもつ人々です。
世界最強の戦闘集団として知られるグルカ兵は、ネパール山岳民族から構成される戦闘集団の呼称です。
一般的に、ネパールのグルカ族出身者で構成される山岳戦・白兵戦に非常にたけた集団だと考えられていますがが、実際にはグルカ族なる民族は存在せず、マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族などの複数のネパール山岳民族から構成されています。イギリスが英・ネパール戦争当時ネパールのことをグルカと呼んでいた(当時のネパールのシャー王朝がゴグカ王国の子孫だった)ことによります。なお、グルカの意味は『牛を守る者』です。
19世紀、ネパール山岳民族特有の尚武の気性と白兵戦能力、宗教的な制約が小さい点(ヒンドゥー教徒のインド人は宗教的な制約が多いため近代戦の兵士に向かず、運用に不自由をきたしていた)に目をつけたイギリス東インド会社は、グルカ兵を傭兵として同社軍に志願することをネパールに認めさせ、その後、セポイの乱が発生すると、ネパールは14,000人のグルカ兵を派遣し、イギリス軍が行った鎮圧戦で大きな戦力となるなど、世界最強の戦闘民族として名を馳せました。
トイトレインは、バタシア・ループと呼ばれる円形の場所で約10分停車します。ここは高低差を解消するために、線路が大きく円を描いているところに、グルカ兵の慰霊碑があります。
現在グルカは茶園に従事している人も多いです。
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