陽羨雪芽は江蘇省宜興市で生産されている緑茶です。東は太湖、南は浙江省長興、安徽省広徳に隣接、江蘇省の最南端に位置する宜興市は、丁山が紫砂茶壷主産地であることから中国の陶都と称されています。後漢(25~220年)末期には、すでに宜興でお茶が生産されていたと文献にありますが、陽羨茶の名が知れ渡るようになったのには、著名な歴史的人物の功がありました。
唐代の茶聖陸羽の『茶経』にも陽羨茶のことは記述されていますが、なによりも陽羨茶は杜牧、白居易、盧仝、皇甫冉、陸亀蒙、陸希声、張藉など、多くの文人たちに愛されたお茶でした。なかでも盧仝の陽羨茶と茶を飲んだ感動に言及した「走筆謝孟諫議寄新茶(七碗茶歌)」は傑作です(特筆される部分を抜粋すると以下のようになります)。
天子須嘗陽羨茶、 /天子が思召す陽羡茶、
百草不敢先開花。 /百草はあえて先がけて花を開こうとはしない。
(中略)
一碗喉吻潤、 /一碗飲めば喉が潤い、
兩碗破孤悶。 /二碗飲めば孤独や愁いが解消される
三碗搜枯腸、 /三碗飲んで、腹の中を探ってみると、
唯有文字五千卷。 /ただ文字五千巻が浮かんでくる。
四碗發輕汗、 /四碗飲めば、軽く発汗して、
平生不平事、 /平素の不満は、
盡向毛孔散。 /毛穴に向かって散ってしまった。
五碗肌骨清、 /五碗飲めば、肌骨も清らかになり、
六碗通仙靈。 /六碗飲めば、仙霊に通じる。
七碗吃不得也、 /七碗目はもう飲めず、
唯覺兩腋習習清風生。 /ただ両腋から清風が吹くのを感じる。
蓬莱山、在何處? /仙人が住む蓬莱山はどこにあるのだろう?
玉川子乘此清風欲歸去。 /私もこの清風に乗って飛んでゆきたい。
陽羨茶は、清明節から穀雨に一芯一葉を摘み、生葉の静置(攤青)→加熱による酸化停止(殺青)→軽揉捻(軽揉)→成形(整形)→焙り乾燥(烘干)の工程を経て作られます。
宋代の詩人蘇軾の『雪芽我為求陽羨』の詩にその名が因まれている通り、500gの茶を作るのに、早春に萌え出た小さく繊細な芽を4~5万も必要とする大変美しいお茶です。
陽羨雪芽是被在江蘇省宜興市生产的绿茶。
宜興市在东面于太湖,南面于浙江省长兴和安徽省广德,位于江苏省的南端,因为丁山是紫砂茶壶主产地而称为中国的陶都。
在东汉(25-220年)末期,文献里有茶已经在宜興生产的,陽羨茶众所周知的原因于历史人物的功。
陽羨茶已经在中国唐朝的茶圣陆羽的”茶经”被记载,比什么,陽羨茶是被杜牧、白居易、卢仝、皇甫冉、陆龟蒙、陆希声、張藉等许多文人们喜爱的茶。
尤其卢仝提到喝陽羨茶的感动的诗”走筆謝孟諫議寄新茶(七碗茶歌)”是杰作。
(2016-5-10)