台湾茶業の父李春生@台三線お茶のある風景㉖

李春生は福建廈門(アモイ)出身。15歳の時、船乗りの父に従い、長老教会礼拝堂で洗礼を受けてキリスト教徒となって宣教師らとの往来を通じて英語をマスターするだけでなく西洋思想の見識を深めました。英語力を活かして買弁の職に就いたことで実業家としての道が開けます。
太平天国の乱が閩南に波及した頃、廈門の怡記洋行で支配人をしていましたが、自身が営む四達商行の経営も打撃を受けたため、1865年に難を逃れて台湾に移住します。大稲埕を拠点に、スコットランド商人ジョン・ドットが創設した宝順洋行(デント商会)の総支配人や和記洋行(ボイド商会)の総支配人などを務めながら台湾茶葉の貿易を行いました。
烏龍茶の試作を成功させ、台湾茶葉産業における地位を確固たるものとし台湾茶業の父と称されるまでになります。
日治時代、茶業のみならず石油代理販売権を獲得したことで李家は名実ともに近代台湾の大実業家と称され、実業家としての不動の地位を築き上げたのです。
彼は巨額の私財を惜しみなく台湾近代化の事業に投入しました。淡水河護岸堤防、大稲埕新市街、鉄道などインフラ建設に尽力するとともに、近代教育・慈善事業にも貢献しました。キリスト教徒として、済南教会、長老教会大稲埕礼拝堂などを建設して、台湾基督長老教会の創始者となりました。その建築様式は、李春生が故郷廈門一帯を参考にしたものだと知られています。

~2024年6月8日facebook記事より

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