チベットの春4/10

長安から吐蕃(チベット)へ至る道「唐蕃道」、吐谷渾、党項(タングート)、回鶻(ウイグル)が実効支配する土地もあり、通行は自然の厳しさ以外にも人為的な危険と隣り合わせです。西域交通路の安全を確保するため、唐が行ったのが和親(公主降嫁)策です。文成公主が長安から去る時、太宗は日月鏡と呼ばれる黄金の宝鏡を彼女に贈ったといいます。その鏡は長安の風景を映し出すことができる、故郷が恋しくなった時にこれで心をなぐさめられるというものでした。
長安から唐の領土を約一月かけて横断すると、赤銅色の山嶺にたどりつきます。赤嶺と呼ばれた不毛の山が当時唐と吐蕃の境界で、ここで一つの物語が生まれました。最後に見る自国を振り返り、二度と戻れぬ故郷に思いをつのらせた公主が皇帝から贈られた日月鏡を取り出して鏡面に懐かしい風景をうつそうとしたその時、眩暈におそわれて手から鏡を滑り落としてしまうのです。そのことから、赤嶺は日月山と改名されたというお話です。
平地に暮らす人が慣れない高い標高で、高山病にかかるとそのような症状になることもあります。息苦しさや眩暈を訴え出る随行員は熱いお茶で症状を和らげたというもう一つの話は現代にも通じる生活の知恵です。
二つに割れた日月鏡に文成公主は故郷への未練を断ち切り、一路新地に向かったと伝わります。
※南北朝時代に切り開かれた河西回廊シルクロード南路は、日月山、青海湖、ツァイダム盆地を通って西域に至ります。唐代に切り開かれた唐蕃古道は海南州の真ん中を貫き河源に向かってラサに至る道です。羌中道、シルクロード南路、唐蕃古道において日月山は歴史的要衝でした。

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