薩摩焼発祥地

島津家第17代藩主義弘公(1535~1619)が千利休にしばしば茶道の伝授を受けたことは『惟新様より利休へお尋ねの條書』によって明らかになっています。それは五十カ条にわたる茶道の専門的な質問書で、これに対して利休は一つ一つ明快な回答を寄せているのです。
豊臣秀吉が行なった朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の際に連れて来た陶工たちによって焼き物の生産が始まったのは、伊万里・有田・唐津・高取・上野・萩など、九州や山口の主だった焼き物と同様、島津家が朝鮮から連れてきた陶工が住んで薩摩焼を興したのが美山の地で、17世紀の初めから茶入を中心として、薩摩焼の茶陶が全国に名を馳せるようになりました。義弘公は将軍家や有力大名の茶会に使用してもらうため茶入れを贈答品として活用したとのことで、それらが島津家の外交を支えたことが、この里から出土した茶入の圧倒的な量がそれを物語っています。
訪れたのは薩摩焼宗家沈壽官窯。初代沈讃は豊臣秀吉の朝鮮出兵のおり島津軍により連行された22姓約73名の一人です。
薩摩焼には白薩摩と黒薩摩の二つがあります。白薩摩は藩にのみ納められる雅な焼き物、黒薩摩は雑器として民衆の生活に使われました。窯元が集まる美山の近く松元には「はんず茶」というこの地方独特のお茶が存在します。はんず(半胴)水がめを斜めに傾けてかまどに置いて木の枝でかき混ぜて作る釜炒り茶の一種です。歴史との深い結びつきを感じます。また、聞いたところによると、沈壽官が美山産茶の発祥であったそうで、現在4haの茶畑が復活しているとか、いつかそのお茶を飲んでみたいものです。

萨摩窑发源地
岛津家第17代藩主义弘公(1535-1619)常常向千利休寻问茶道,这件事通过『从惟新公向千利休询问的条书』已为人知晓。该条书共有五十条,是专业的茶道的征求意见书,对这些千利休一个一个地给出了明确的回答。
丰臣秀吉发动朝鲜出兵(文禄、庆长之役)时,被带来的陶工们开始陶瓷器的生产,有田、高取、上野、萩等,这些九州和山口县的窑一样,岛津家从朝鲜带来的陶工居住并兴办薩摩窑的就是美山了,从17世纪初开始以茶罐为中心,薩摩窑开始驰名于全国。义弘公为了让将军家和大名开茶会时使用,将茶罐作为赠品,它们支撑了岛津家的外交,从美山出土的茶罐庞大的数量印证了历史。
我们访问了薩摩窑宗主沈寿官。第一代沈讃是丰臣秀吉朝鲜出兵时被岛津军带走的二十二姓七十三名中的一个人。
萨摩窑有白萨摩和黑萨摩两种。白萨摩是为藩主上贡的风雅的陶瓷器,黑萨摩作为朴素的陶器用于民众生活。在陶工集中的美山附近的松元,有这一种该地方独特的茶“半胴茶”。这是把叫做半胴的水缸斜放在灶上,用树枝搅拌成的一种炒青茶。这个茶使我们感到与历史深远的联系。还有,听说沈寿官是美山产茶的发源,现在重新种植了60亩的茶园。什么时候,我想品一品那个茶。

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